徹底的なブランド戦略!世界に羽ばたくレッドブル

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今までのエナジードリンクというと小さなビンに入っているものが多く、最近では女性用のドリンクもあるが“おじさん”のイメージが強かった。

ところが、レッドブルのエナジードリンクは、赤い闘牛のロゴと青い缶が象徴的なパッケージ。「レッドブル、翼をさずける」というキャッチコピーでユニークまCMや、大きな缶を乗せたようなキャンペーンカーを走らせるなど、今までのエナジードリンクのイメージを払拭し若者など新しい市場を開拓した。

ディートリッヒ・マテシッツの考える戦略

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レッドブルは、1978年にオーストリアで生まれた。創業者はディートリッヒ・マテシッツ。彼は創業前にユニリーバの子会社(消費財メーカー)に勤務していた。マーケティング部のマネージャーとして高額の報酬を得ており、彼の経営能力や考え方はここで磨かれていった。

創業時、彼は企画書に「レッドブルのための市場は存在しない。我々がこれから創造するのだ」と記しており、マーケティングを最も重要とした。世界のエナジードリンク市場で70%もの占有率を誇る現在でもマーケティングには600億円もの予算を組んでいる。

特にレッドブルはブランドの構築に力を入れており、自社の会社登記簿には業務内容を「レッドブルブランドの活用」としか書いていない。つまり、レッドブルにとってエナジードリンクの販売は手段のひとつであり、そこがゴール(目標)ではないということだ。

マテシッツは今後の展望について「主要製品と関連のない企業の買収と製品ラインの拡大に努め、潜在能力があるにもかかわず、これまで日の目を見ることのなかったブランドを眠りから覚ましてやりたい」とも語っている。

発想の種は目の前にある

「チャンスの女神に後ろ髪はない」
これは“うかうかしているとチャンスを手にすることができない”という意味で、レオナルド・ダビンチの言葉だ。マテシッツはチャンスを見逃すことなく掴み、2014年度には56.12億缶という販売本数を誇った。そこに至るまでの起源とは、いったい何だったのだろうか。

エナジードリンクは日本人にとっては馴染みの商品であるが、当初アジアのみでしか販売はされていなかった。彼はサラリーマン時代に、雑誌で当時日本で大きな売上をあげていた大正製薬のリポビタンDの存在を知る。

世界中を飛び回っていた彼は、先々であらゆるエナジードリンクの類を試した。その時、タイのエナジードリンクに惚れ込み、当時生産していた会社とライセンス契約を交わすこととなる。これがレッドブルの歴史の幕開けである。

レッドブルのきっかけは、雑誌の記事のひとつに過ぎなかった。この記事をマテシッツが気にも留めず読み過ごしていたら、レッドブルは存在していなかったかもしれない。

あらゆるものが豊富にあるため新しい商品やサービスを生み出すのは簡単ではないかもしれない。しかし、情報化社会となった昨今、マテシッツのように世界を飛び回らなくても情報が簡単に手に入る。その情報の中に眠るチャンスを掴み損ねてはいけない。

レッドブル=マーケティングのプロ?

マテシッツは広告戦略に長けた人間であり、先述した600億ものマーケティング費の多くは広告宣伝費となっている。レッドブル社は広告代理店に宣伝を任せるのではなく、イベントなども含め自社で展開している。

F1やサッカーチームを所有し、数多くのエクストリーム・スポーツのイベントを主催している。マテシッツ自身、このようなスポーツが好きだということもあるが、これらを通して商品の宣伝をするのではなく、レッドブルというブランドを知ってもらうことを目的にしている。

また、これらのスポーツを通して単なる「スポンサー」になるのではなく、「スポーツの一部になる」という考えている。サッカーの学校や新しいスポーツのカテゴリーを創ることで、選手のサポートや育成など長期的に広い視野を持って応援している。

長期的な内部開発志向

レッドブル社は、上記の広告宣伝、財務、法務のみを自社で運営しており、生産ラインはすべて外部に委託している。そのため、社内には工場や倉庫は一切ない。このシステムはランニングコストを必要最小限に抑えることができるメリットがある。

このシステムを構築することによって、同社は167ヶ国と世界的に展開しているのにもかかわらず、すべて自己資本で運営ができている。また、短期的な利益や成長を求める投資家の圧力にさらされないよう、上場しないという基本方針も打ち出している。

販売価格も日本に参入してきた当初は275円と高単価であった。日本では戦後間もないころからエナジードリンクの類は販売されており、市場はレッドオーシャン。ただ、そこでレッドブルは値段で勝負するのではなく、ブランドを守るためコンビニエンスストアなど値引き戦略に巻き込まれにくい市場を選ぶチャネル戦略をとった。これも今日の日本で売れている要因である。

まとめ

短期的に見た時に、レッドブルの戦略はリスクが大きく経営者としては勇気のいる決断である。マーケティング部で高給取りであったマテシッツも、レッドブルの創業から数年で個人資産の5000万円が底をつく寸前と最初は大変苦労している。

ただ、ここでレッドブルが簡単に倒産しなかったのは、マテシッツの「マーケティングの知識」「経営理念・ビジョン」があったからこそ。彼の戦略は奇想天外に思われがちだか、事前準備を決して怠ってはいない。彼の地道な事前準備があったからこそ、レッドブルは世界で愛されるブランドとなった。

レッドブル CM

この記事を書いた人

堀江晃一

堀江晃一

・WEBコンサルタント
・フリーランス・副業など働き方支援
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1983年生まれ。大阪府東大阪市出身。
印刷業界の営業やパソコンメーカーのカスタマーセンター、SEO・WEBライティング業などを経て、30歳で独立。挫折を経験し、人が集まる仕組みや経営を勉強するため、シェアハウス・コワーキングスペース運営会社のWEB担当やコンサルティング会社を経て、再び独立。
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